The 23nd ハママツ・ジャズ・ウィーク

2014年度スケジュール期間:10/18(土)~10/26(日)

10/18(土) 12:30~ スチューデント ジャズ フェスティバル アクトシティ浜松・中ホール 詳細
10/19(日) 14:00~ 親子で楽しむジャズコンサート クリエート浜松・ホール 詳細
10/25(土) 14:00~ ジャズと落語の粋な関係
佐藤允彦 《じゃず高座》
アクトシティ浜松 研修交流センター音楽工房ホール 詳細
10/26(日) 11:00~ ストリート ジャズ フェスティバル キタラ(浜松駅北口広場)他 詳細
13:00~ ヤマハ ジャズ フェスティバル アクトシティ浜松・大ホール 詳細

街のジャズクラブ

10月18(土)~10月26日(日)のハママツ・ジャズ・ウィーク中は浜松の多くのお店でジャズライブをお楽しみいただけます。詳細

イベント紹介

ヤマハ ジャズ フェスティバル

これは面白い。表現の海を自由に泳ぐ、なんとも守備範囲の広い3組がそろった。楽しみ楽しませる感覚が冴えている。音楽ジャンルのみならず、アートやエンタメ、どのフィールドからも吸い上げてはスプラッシュ!それはポンプの性能が精巧で大型だからこその、美味しいカクテルのしぶき。彼らが丹念に用意する音楽の“お・も・て・な・し”で、ときめくパーティが始まる。舞台には三者のプリズムがきらめくだろう。こちらはあんぐり大口開いて、彼らの美酒に酔うとしようか。

写真:ヤマハ ジャズ フェスティバル

日時 2014年10月26日(日)
開場=12:00、開演=13:00、終了=16:45(予定)
会場 アクトシティ浜松・大ホール
詳細地図
住所 〒430-0928 静岡県浜松市中区板屋町111-1
入場料 SS席 8,000円(全席指定)
S席 7,000円(全席指定)
A席 5,000円(全席指定)
B席 3,000円(全席指定)
学生席 2,000円(当日指定)
※未就学児入場不可
名誉顧問 内田修
Pコード 233-703
Lコード 48994
チケット・プレイガイドについてはこちら

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PART.I 音楽を糧(かて)とする“喜び”が、歌いだす。 ギラ・ジルカ

アルバム『Day Dreaming』のメンバーが支える心惹く歌声。ジャズファンには待望の声のプレイヤーであるヴォーカリスト、ギラ・ジルカの声は、その歌は、変幻自在に空を舞い、あなたの元に降り立つ。ジャンルを超え、言葉を越え、喜びに導かれて。

ギラ・ジルカ(Vo)

神戸にて日本人の母とイスラエル人の父の間に生まれる。保育園からハイスクールまでを神戸のインターナショナル・スクール「Canadian Academy」にて過ごす。幼い頃からあらゆる音楽活動に興味を示し、3歳からはバレエを習いだす。しかし、9歳の時に医師から脊柱が曲ってしまう脊柱側湾症という病名を告げられ、病気の進行を防ぐため背中に銅棒を埋める手術を受けることに。そのためバレエは当然として、今後はすべてのスポーツを諦めざるを得なくなり、ギラは音楽こそが自身の運命だと感じる。術後直ぐの10歳からアルト・サックスを始め、ついで音楽を更に理解するためキーボードも始める。ハイスクールではバンド活動も始め、同時にジャズビッグバンドのリーダーも務めた。
ハイスクール卒業後、ボストンのバークリー音楽大学に単身留学。アルト・サックスを専攻するものの、歌こそは自分の運命の楽器であると感じるようになり、2年目からは進路を変更する。バークリー音楽大学では、彼女の声楽の先生であるエイプリル・アラビアンが指導する「ヴォーカル・ジャズ・アンサンブル」や、ボブ・ストロフが指導する「ヴォーカル・サミット」、さらにはオーヴァル・ライトとデニス・モンゴメリーIII率いる「レベンス・ゴスペル・クワイヤ」に参加。同大学は1991年に卒業。
卒業後は地元神戸に戻りテレビやラジオDJ等の仕事を始める。FM802ではDJとして自身の番組を3年近く担当。同時に、ABCテレビの朝の情報番組アシスタントホストを務める。タレントとして歌手として自身のキャリアを広げていくことを望んでいた矢先、1995年阪神淡路大震災に見舞われ、仕事を中断することを余儀なくされる。しかし、自身の音楽への夢を諦めることは出来ず、活動の場を東京に移すことに。上京後は、CM歌唱やラジオDJ等の今までの活動に加え、ベネッセの英語教材で声優を務めたことをきっかけに、TVCM等のナレーションも行うようになった。近年のCM歌唱の代表作としては、マツダ、全日空、ハーゲンダッツ等があり、中でも『fly me to the moon』を歌った全日空のCMは「誰が歌っているのか?」と問い合わせが殺到し大変な話題となった。2002年には、女性のゴスペル・クワイヤ「Voissalot Choir」を結成。同グループは3枚のアルバムをリリースし、東京ディズニーシーや、JZ Brat、スイートベイジル等でライブ活動も定期的に行い、CMでの歌唱も担当した。2004年、ニューヨークで長男を出産。半年後には歌手としての活動を再開する。2006年、洗足音楽大学にジャズボーカル科の講師として招かれる。2007年、男性ヴォーカリスト矢幅歩との劇的な出会いを切っ掛けに、ツイン・ヴォーカルユニット「Solo-Duo」を結成しライブ活動を行うようになる。2009年に「Voissalot Choir」が念願のN.Y.アポロシアターでパフォーマンスを行ったことを契機に、以降はクワイヤの活動から離れ、ソロとしての活動に専念。
2010年に開催された「第11回神戸ジャズ・ヴォーカル・クイーンコンテスト」にてグランプリを獲得。副賞としてシアトルの名門ジャズ・クラブ「ジャズアレイ」でのライブ権を獲得し、現地でのライブは大好評を得た。同年10月にリリースされた初のソロアルバム『all Me』は、これまでジャズの中心部ではあまりその存在を知られていなかっただけに、多くのジャズ関係者・リスナーを驚かせ、「JAZZ JAPAN」「JAZZ LIFE」「ジャズ批評」等の専門誌をはじめ一般紙でも紹介され、朝日新聞では二度に渡って大きく取り上げられた。2011年9月21日、2ndアルバム『appearance』をリリースし、自身初のバンド編成での全国ツアーを敢行。2012年2月29日には六本木STB139 にてデビュー20周年記念イベントを開催。お馴染のメンバーに加え、かつての仲間「Voissalot Choir」やスペシャルゲストばんばひろふみ等を迎えて、これまでの集大成となるコンサートを行った。13年4月24日、矢幅歩とのデュオ・ユニット「SOLO-DUO」としてミニアルバム『breathing...』をリリース。続いて13年7月24日には、自身3枚目のソロアルバム『Day Dreaming』をリリースし、大きな反響を呼んでいる。ジャズにパワー溢れるソウルフルなエッセンスを加えたヴォーカルは聴く人を楽しく癒す。現在、神奈川県にある洗足学園音楽大学でジャズ・ヴォーカルの講師も務めている。

オフィシャルウェブサイト

写真:ギラ・ジルカ(Vo)

竹中俊二(G)

高知県出身、10月23日生まれ、AB型♂。エレキ、ガット、フォークギターを操り、ジャズ、RnB、ロック、ブラジル、フュージョン、ワールドミュージック、テクノ、アバンギャルドなどなど、ジャンルの波を行ったり来たり。
雑食的に音楽をむさぼりながらあらゆるライブ、レコーディング、作・編曲、プログラミングをライフスタイルとする音楽家。年間ライブ260本以上、レコーディング120曲以上のパフォーマンスでさらに進化するサウンドクリエーター&ギタリスト。ギラ・ジルカ1stアルバム『all Me』、2ndアルバム『appearance』、3rdアルバム『Day Dreaming』のサウンド・プロデュース他、プロデューサーとして多くの作品を手掛けている。

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写真:竹中俊二(G)

深井克則(Pf)

作曲家・アレンジャー・ピアニスト
1960年11月1日生まれ、岡山市出身。大阪芸術大学作曲科卒。在学中から関西を中心に演奏活動。中国短期大学講師(理論)を経て、88年「高橋達也と東京ユニオン」に参加、国内外の多くのミュージシャンと共演。 以後「原信夫とシャープス&フラッツ」「猪俣猛3」「ファンキー末吉3」等、様々なセッションに参加。現在、「BANDA CALIENTE」(9人編成のラテンジャズオーケストラ)と小編成の「深井克則 MUSIC BANK」のリーダーとして、各地でコンサート・ライブに出演。ジャンルやカテゴリーにとらわれず様々な編成のコンサートをプロデュースするため、「ジャズ界の仕掛人」の異名をとる。一方、作曲家・アレンジャーとしての活動も多岐に渡り、そのクリエイティビティの高さによって、ジャンルを超えた新しいフィールドの音楽を次々と生み出している。また、ピアノ指導者のネットワークPENでは設立当初から企画運営に携わり全国でセミナーを開催。97~98年には東京音楽大学でも講座を持ち、全国のビッグバンドやブラスバンドでクリニックを行うなど、音楽教育に関わる活動も精力的にこなす。1994年、ファーストアルバム『UN・NAMED PLANET』(RCI)、1999年、セカンドアルバム『HEART to HEART』をリリース。同年、『LIVE!』が発売された。2000年、シングル『TANUKI DE SALSA』、『UN・NAMED PLANET』リニューアル発売。

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写真:深井克則(Pf)

中村健吾(B)

大阪市出身。1991年バークリー音楽大学卒業後、ニューヨークへ移る。1997年、ウイントン・マルサリスが音楽監督を務めるリンカーンセンター・ジャズ・オーケストラに参加。マルサリス・カルテットのメンバーとして、クリントン前大統領主催のプレジデント・サミットで演奏する。
1998年、サイラス・チェスナット・トリオに加入。2000年、渡辺貞夫カルテットツアーに参加。2001年、小曽根真プロデュースのデビューアルバム『Divine』(Verve)を発表。グラミー賞にノミネートされたマルサリスのアルバム『Live at the House of Tribes』(Blue Note)では、クインテットのメンバーとしてライブレコーディングに参加。小曽根真率いるビックバンド「No Name Horses」のメンバー。2012年10月、7枚目のアルバム『Songs in My Life Time』(55 Records)をリリース。

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写真:中村健吾(B)

加納樹麻(Dr)

1975年、大阪生まれ。音楽好きな両親の影響を受け、幼い頃からドラムに興味を持つ。19歳の時に渡米、Los AngelesにあるMusicians Instituteに入学。卒業後も L.A.を中心にジャズ、ラテン、ファンク、ポップスと幅広くセッションを重ね、Shannon McNally、Dale Fielder、Rafael Moreira、Red Youngなどのグループに参加。2000年に帰国。
田中武久トリオに参加し日本での活動を始め、引き続き多様なスタイルのセッションやライブに参加している。現在参加中のバンド、ユニットにはPINK BONGO、Crystal Jazz Latino、秋田慎治トリオがある。

オフィシャルウェブサイト

写真:加納樹麻(Dr)

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PART.II スパークするエンジョイアブルな五重奏 日野皓正クインテット

ほおずきのように膨らむ頬、その名のごとく日の照るようなエモーション。世界のヒノテル、YJFのその日、72歳と1日目。紫綬褒章も受賞した国際的アーティストは、そのつど驚くほど新鮮。ドラスティックなインスピレーション、ほとばしる!

日野皓正(Tp)

1942年10月25日、東京生まれ。タップダンサー兼トランペッターであった父親より、4歳からタップダンス、9歳からトランペットを学び始め、13歳の頃には米軍キャンプのダンス・バンドで活動を始める。1964年、白木秀雄クインテットに参加し、1965年ベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演し喝采を浴びる。1967年、初リーダー・アルバム『アローン・アローン・アンド・アローン』をリリース。1968年、菊地雅章との双頭ユニット日野=菊地クインテットを結成、録音。1969年、『ハイノロジー』をリリース後、マスコミに「ヒノテル・ブーム」と騒がれるほどの絶大な注目を集める。
1972年、ニューポート・ジャズ・フェスティバル出演。1975年、N.Y.に渡り居を構え、ジャッキー・マクリーン、ギル・エバンス、ホレス・シルバー、ラリー・コリエルなどと活動を重ねる。1979年『シティー・コネクション』、1981年『ダブル・レインボー』、とたて続けに大ヒットアルバムをリリース。1982年、『ピラミッド』をリリースし、武道館を含む全国ツアーを行う。1984年、ロサンゼルス・オリンピック・アートフェスティバルに出演。1989年、ジャズの名門レーベル「ブルー・ノート」の日本人初の契約アーティストとなり、第1弾アルバム『ブルーストラック』は、日本はもとより、アメリカでも大好評を博す。1990年以降、自身の夢である「アジアを一つに」という願いを込め、アジア各国を渡り歩き、探し集めたミュージシャンと結成した「日野皓正&ASIAN JAZZ ALLSTARS」で、1995~96年に北米-アジアツアーを行う。1995年、日野=菊地クインテットによる『アコースティック・ブギ』(日本ジャズディスク大賞金賞受賞)をリリースし、Mt.Fuji Jazz Festival他、ブルーノート・ツアーを行う。1997年、台湾での「第16回国際芸術祭」、シドニーでの「日豪友好100周年記念コンサート」に出演。2000年、大阪音楽大学短期大学部客員教授就任。2001年、インド、パキスタンにて公演の他、西インド地震災害チャリティコンサート、そしてカンボジアでは子供たちのためのチャリティコンサートを行う。アルバムは『D・N・A』をリリースし、レコーディング・メンバーにて全国ツアーを行う。このD・N・Aプロジェクトは芸術選奨「文部科学大臣賞」(大衆芸能部門)受賞。2004年、紫綬褒章受章。また約20年ぶりに映画音楽を手掛け、サウンド・トラックは文化庁芸術祭「レコード部門優秀賞」、毎日映画コンクール「音楽賞」受賞(映画『透光の樹』)。2007年、盟友菊地雅章(pf)との、日野=菊地クインテット『カウンターカレント』、デュオ・アルバム『エッジス』(日本ジャズディスク大賞銀賞受賞)を発売。2010年、尚美学園大学客員教授就任。
現在、dj honda、次男の日野JINO賢二を迎えたユニット「日野皓正 h factor」にてライブを行う他、同ユニットにてニューアルバム『Unity -h factor-』を2013年6月に発売。また近年はチャリティー活動や後進の指導にも情熱を注ぎ、個展や画集の出版など絵画の分野でも活躍が著しい。唯一無二のオリジナリティと芸術性の高さを誇る日本を代表する国際的アーティストである。

オフィシャルウェブサイト

写真:日野皓正(Tp)

加藤一平(G)

1982年生まれ、東京都出身。20歳の時にギターを独学で始め、都内各所のセッションで腕を磨く。23歳の時、N.Y.に半年滞在し、ジャムセッション、ライブで腕を磨いた。帰国後、鈴木勲、日野皓正、中牟礼貞則、川島哲郎、是安則克などと共演。
現在は鈴木勲OMA SOUND、日野皓正 h factor、Thelonious Monk Projct、SHELTERなど、多数のセッションで関東近郊ライブハウスに出演している。

オフィシャルウェブサイト

写真:加藤一平(G)

石井彰(Pf)

1963年10月1日、川崎市に生まれる。大阪音楽大学作曲科在学中、ビル・エバンスを聞き衝撃を受け、ピアニストを志す。卒業後、関西で活動を始め、国内外のミュージシャンとの数々のセッションを経て、91年拠点を東京へ移す。98年より日野皓正(tp)クインテットに参加し、故日野元彦(ds)からも多大な影響を受ける。
その他にも数多くのミュージシャンと演奏活動を共にし現在に至る。2001年には、初リーダーアルバム『Voices In The Night』(EWE)を発表、その後もアルバムのリリースやライブ活動と精力的な活動を続けている。その幅広い音楽性は、聴く者に多面的な印象すら与えるが、常にその根源にあるものは、音楽に対する真摯な姿勢と、溢れんばかりのしなやかな生命力である。それらが特有の豊かな表現力と優れたバランス感覚によって芸術へと昇華され、多くの人々を魅了している。

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写真:石井彰(Pf)

須川崇志(B)

1982年2月、群馬県伊勢崎市生まれ。11歳の頃にチェロを弾き始め、18歳でジャズベースを独学で始める。2001年に日本大学文理学部を中退、その後アメリカへ渡り、2006年にバークリー音楽大学を卒業。2007年に活動拠点をニューヨークに移す。同年7月、Jake Hertzog(g)のカルテットでスイスのモントルージャズフェスティバルに出演。2008年にはOri Dakari(g)のCD『Entrances』(Tzadik Records)に参加。この間に、多くのミュージシャンと日々のセッションを重ねる。また、ピアニスト菊池雅章氏との出会いを切っ掛けに、氏の音楽観から多大な影響を受ける。
2008年に日本へ帰国し、2010年3月から日野皓正カルテットのメンバーとなる。2011年には日野皓正AFTERSHOCKバンドで東京ジャズに出演。他のレギュラーバンドに奥平真吾The Force、他の共演者に、Peter Brötzmann、Barney McAll、Leo Genovese、山中千尋、Mike Nock、Todd Nicholson等。

オフィシャルウェブサイト

写真:須川崇志(B)

田中徳崇(Dr)

1977年、福岡生まれ。10代よりドラムを始め、ロレッタセコハンなどのバンドで活動。1997年からの10年間はシカゴにてジャズと現代音楽を学び、在学中より多くのバンドのツアー、レコーディングに参加する。Jeff Parker(g)の様々なプロジェクトをはじめ、Ron Dewar(ts)、Bobby Broom(g)などのグループでドラマーを務める。
一方ではAACMや音響系などのミュージシャンとの交流も多く、Fred Anderson(ts)、Ernrest Dawkins(as)他と共演する。他にもThe Howling Hex(Neil Michael Hagerty)やThe Cairo Gang(Emmett Kelly)などのバンドのツアー、レコーディングに参加している。2007年に滞在ビザの都合により帰国してからは、Peter Brötzmann、坂田明、峰厚介、井野信義、ケイ赤城、梅津和時をはじめ多くのミュージシャンと共演。現在は主に、日野皓正グループ、高瀬アキトリオ(T.I.T.)、八木美知依ダブルトリオなどで活動し、最近ではBonnie'Prince'Billy、八木美知依ダブルトリオ、Aaron Choulaiらと海外での演奏も行っている。

写真:田中徳崇(Dr)

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PART.III 21世紀の奇跡。すばらしきビッグバンド! GORDON GOODWIN'S BIG PHAT BAND

なんとスタイリッシュでスマート!著名音楽家がこぞって舌を巻くそのセンス。快感に誰もが声を上げて喝采する。これはもう最高のアトラクション。マルチな才能でグラミーやエミーも受賞。すべてがディライトフル。音楽は愉快!ゴードン・グッドウィンと同じ時代に生まれてよかった!

GORDON GOODWIN'S BIG PHAT BAND

2000年に結成され、01年に『Swingin' for the Fences』でアルバム・デビュー。いきなりのグラミー賞ノミネートを経て、2003年の『XXL』では人気ヴォーカル・グループ、TAKE 6とのコラボレーションを実現。06年の『The Phat Pack』ではデヴィッド・サンボーンやダイアン・リーヴスをフィーチャーして、さらにファン層を広げた。08年1月にパティ・オースティンとの共演で初来日を果たし、同年11月にはバンド単独でも公演。08年の『Act Your Age』では共同プロデューサーにリー・リトナー、ゲストにデイヴ・グルーシンやチック・コリアらを迎えて新境地を開いた。2011年のアルバム『That's How We Roll』収録曲『Rhapsody in Blue』が翌年、悲願のグラミー賞を獲得。2013年秋には世界で最も長い歴史を持つジャズ祭である第55回モンタレー・ジャズ・フェスに初登場し、大好評を博した。さらに今春発表の最新作『Life in the Bubble』の収録曲『On Green Dolphin Street』もグラミー賞を受賞し話題沸騰のビッグ・ファット・バンド。ゴードン・グッドウィンが腕によりをかけた作編曲、最高レベルのテクニックとユーモアに彩られた音作りを全身で体感したい。

オフィシャルウェブサイト

写真:GORDON GOODWIN'S BIG PHAT BAND

Gordon Goodwin(Leader、Pf、Sax)

リーダー、アレンジャー、コンポーザー、ピアニスト、サックス奏者の五役をこなすマルチ・アーティスト。カンザス州に生まれ、中学生のときにカウント・ベイシー・オーケストラの演奏を聴いてビッグ・バンド・ジャズに開眼。カリフォルニア州立大学ノースリッジ校を卒業後、ミュージシャンとして本格的な活動を開始した。ディズニーランドの専属バンドやルイ・ベルソン・オーケストラへの参加、ギル・スコット=ヘロンとの共演、初ソロ・アルバム『Close to the Edge』を経て、2000年に自身のジャズ・オーケストラ“ビッグ・ファット・バンド”を結成。現在まで7作品をリリースする一方で映画、TVへの作曲や音楽プロデューサーとしても多忙な日々を送り、『Mr.インクレディブル』、『スピード2』など大ヒット作の音作りに携わるなどアメリカ・エンターテインメント界の最前線で活動を継続中。その才能はレイ・チャールズ、クリスティーナ・アギレラ、ジョージ・マイケルを筆頭とする数多くのスター・シンガーからも大きく支持されている。近年は後進の指導にも意欲を注ぎ、クリニックも積極的に開催。エミー賞3回、グラミー賞2回(ノミネート9回)の受賞歴を誇る。

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写真:Gordon Goodwin

Wayne Bergeron/ウェイン・バージロン(Tp)

ビッグ・ファット・バンドが誇るハイノート・ヒッターであり、その一挙一動が常にトランペット・ファン、アマチュア・トランペッターから注目を集めているといっても過言ではない。コネチカット州ハートフォード生まれ、カリフォルニア州育ち。ホルンを手がけた後、トランペットに転向。’86年に伝説のトランペット奏者メイナード・ファーガソンのオーケストラに抜擢され、ファーガソン本人から「私のバンドを去来したトランペッターの中で、最高のリード・プレイヤー」との評価を得た。2004年にはソロ・アルバム『You Call This a Living?』がグラミー賞にノミネート。続く『Plays Well With Others』ではファーガソンをスペシャル・ゲストに迎え、トランペット・バトルを繰り広げた。2012年にはアルトゥーロ・サンドヴァルらと共に、クラシック・トランペットの大御所ラファエル・メンデスに捧げた『Trumpet Fiesta: A Celebration of Rafael Mendez』を発表。ビッグ・ファット・バンドには結成当初から参加、その超人的なプレイで重責を担うと共に、ビヨンセ、ボビー・コールドウェル、セリーヌ・ディオン、ビリー・ジョエル、ブライアン・セッツァーらのホーン・セクションの一員としても活動を続けている。

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Matthew Fronke/マシュー・フロンケ(Tp)

カリフォルニア州ロング・ビーチ生まれ。ボビー・シューらにジャズ・トランペット奏法を師事し、カレッジ時代からプロ活動を開始。ウディ・ハーマン・オーケストラやブライアン・セッツァー・オーケストラに在籍し、トム・ジョーンズ、ボズ・スキャッグスらとも共演。「マーズ・アタック」をはじめ、数え切れないほどのサウンドトラックにも参加している。

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Chad Willis/チャド・ウィリス(Tp)

ノース・テキサス大学出身。ウディ・ハーマン・オーケストラのデニス・ドッドソンやスタン・ケントン・オーケストラのジェイ・ソーンダースにジャズ・トランペット奏法を学び、カリフォルニアを拠点とする数多くの一流ビッグ・バンドで重責を担ってきた。プラターズ、フランキー・ヴァリ、バーナード・ファウラー等、シンガーとの共演歴も豊富だ。

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Willie Murillo/ウィリー・ムリロ(Tp)

西海岸屈指のセッション・トランペッターのひとり。ハイスクール時代からプロ活動を始め、これまで共演してきたミュージシャンはトニー・ベネット、スティーヴィー・ワンダー、クリスティーナ・アギレラ、ナタリー・コール、ジェイミー・カラム、ブライアン・セッツァー等。400校以上でクリニックを行ない、教育者としても高く評価されている。

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Andy Martin/アンディ・マーティン(Tb)

幼い頃から様々な音楽に親しみ、フランク・ロソリーノ、カール・フォンタナ等のトロンボーン奏者(共に、1950年代に絶大な人気を獲得したスタン・ケントン・オーケストラ出身)や、マイケル・ブレッカーのサックス奏法からインスピレーションを受けて自身のトロンボーン・プレイを確立した。これまで10枚を超えるジャズのソロ・アルバムを発表する一方で、マイケル・ブーブレ、コールドプレイ、ポンチョ・サンチェスなどのホーン・セクションにも参加。「モンスターズ・インク」など映画のサウンド・トラック、「アメリカン・アイドル」などのテレビ番組、「ライオン・キング」などのミュージカルでも演奏している。ビッグ・ファット・バンドには結成当初から在籍。その圧倒的なテクニックと豊かな音色は他の追随を許さない。アメリカ西海岸で最も売れっ子のトロンボーン奏者のひとりに数えられるアンディの神技を満喫したい。

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Charlie Morillas/チャーリー・モリラス(Tb)

サンフランシスコで育つ。ポール・アンカ、レイ・チャールズ、ブライアン・セッツァーらのバック・バンドを務め、「ライオン・キング」、「ピーターパン」などミュージカルでも演奏。香港や日本のディズニーランドの専属バンドに参加していたこともあるという。映画「ヘルレイザー」、「Mr.インクレディブル」等のサウンドトラックにも参加している。

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Ryan Dragon/ライアン・ドラゴン(Tb)

今年27歳を迎える、ビッグ・ファット・バンド最年少のひとり。カリフォルニア州オレンジ・カウンティ出身。10歳でトロンボーンを始め、アイラ・ネパスやビル・トールに学んだ。ボストンのバークリー音楽院を経てロサンゼルスに移ってからは、ビッグ・ファット・バンドのほかジョン・ラバーベラやビル・ホルマンのオーケストラでも活動している。

Craig Gosnell/クレイグ・ゴスネル(Tb)

カリフォルニアが誇るバス・トロンボーンの名手。'80年代から活動を始め、ウディ・ハーマン、ボブ・フローレンス、ビル・ホルマン他のオーケストラを経てビッグ・ファット・バンドに加入した。ビヨンセ、トム・ジョーンズ、メアリー・J・ブライジ、ディオンヌ・ワーウィック、ロバータ・フラック、ピーボ・ブライソン等、数多くのシンガーのサポートも務めている。

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Jeff Driskill/ジェフ・ドリスキル(Sax)

ノース・テキサス大学出身。ビッグ・ファット・バンドのほかにもボブ・フローレンスやクリス・ウォルデンのオーケストラへの在籍経験を持ち“ジェフがいなくてはロサンゼルスのビッグ・バンドは稼働しない”といわれるほどの売れっ子サックス奏者である。プリンス、フィオナ・アップルらのバックを務めたこともあり、映画「トイ・ストーリー3」のサウンドトラックにも参加している。

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Sal Lozano/サル・ロザーノ(Sax)

南カリフォルニアで生まれ育ち、これまでポール・マッカートニー、ナタリー・コール、クリスティーナ・アギレラ、バーブラ・ストライサンド等と共演。映画「美女と野獣」のサウンドトラックや、人気テレビ番組「アメリカン・アイドル」のバック・バンドにも顔を連ねている。ワン&オンリーの美しいサックスの音色はビッグ・ファット・バンドの大きな魅力となっている。

オフィシャルウェブサイト

Brian Scanlon/ブライアン・スキャンロン(Sax)

ニューヨーク州クイーンズ生まれのニュージャージー州育ち。イーストマン音楽院を卒業後、アメリカの国民的テレビ番組「トゥナイト・ショウ」の専属バンドに参加。バディ・リッチ・オーケストラ参加を経て'87年にロサンゼルスへ移住した。あらゆるサックス、クラリネット、フルートを演奏し、映画「モンスターズ・インク」のサウンドトラックにも加わっている。

Kevin Garren/ケヴィン・ギャレン(Sax)

ビッグ・ファット・バンドに新風を吹き込む若手のひとり。南カリフォルニアに生まれ、エリック・マリエンサルやサル・ロザーノにジャズ・サックス奏法を師事。20歳の頃からプロ活動を始め、ビル・ホルマン、ピート・クリストリーブ、ドン・メンザらのアンサンブルに参加する一方で、ケニー・ロギンズ、ジェニファー・ロペス、マイケル・ブレッカーらとの共演で実力を培ってきた。

Jay Mason/ジェイ・メイソン(Sax)

クラシック、ジャズ、ポップス界で幅広く活動するサックス奏者。少年時代より数々のサックス・アンサンブルに在籍し、‘80年代からプロ活動を開始。数え切れないほどのテレビ番組や映画のサウンドトラックに参加する一方、バリー・マニロウ、テンプテーションズ、マイケル・ボルトン、テイク6などトップ・スターたちのサポートもこなしている。

オフィシャルウェブサイト

Bernie Dresel/バーニー・ドレセル(Dr)

ドラム・マガジンで「ベスト・ビッグ・バンド・ドラマー」に選ばれた名手。ペンシルヴァニア州に生まれ、2歳のときにビートルズを聴いて音楽に開眼。3歳からドラムを始め、ニューヨークのイーストマン音楽院でクラシックの打楽器奏法を習得後、ロサンゼルスで本格的なプロ活動を始めた。レターメン(ソフト・ロック系コーラス・グループ)、デヴィッド・バーン、チャカ・カーン、ブライアン・ウィルソン、アンディ・サマーズ他との共演を経て、‘92年から約15年間、ブライアン・セッツァー・オーケストラに在籍。その一方で映画音楽「ミッション・インポッシブル3」、TVシリーズ「シンプソンズ」「ファミリー・ガイ」等、数多くのサウンド・トラックでも演奏を続けてきた。ビッグ・ファット・バンドにも結成当初から参加し、スウィング、ファンク、ラテン等を自在に叩きこなす驚異的なプレイでミュージシャンとファンの双方から絶大な支持を集めている。

Andrew Synowiec/アンドリュー・シノヴェツ(G)

“ロサンゼルスで最も忙しいギタリストのひとり”と呼ばれる凄腕。映画「アナと雪の女王」、「トランスフォーマー/ロスト・エイジ」、「ミッション・インポッシブル4」のサウンドトラックを筆頭に、テレビ番組の音楽や数多くのポップス・ヒットにも貢献。ネイザン・イースト、マイケル・ブーブレ、ロビン・ウィリアムス等、数多くのミュージシャンからも絶大な信頼を得る。

オフィシャルウェブサイト

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Rick Shaw/リック・ショウ(B)

ニューヨークのイーストマン音楽院で学び、‘83年にロサンゼルス移住。西海岸の音楽シーンを代表するファースト・コール・ベーシストである。アコースティックとエレクトリックの両方を弾きこなし、これまでバディ・リッチ、メイナード・ファーガソン、チック・コリア、フリオ・イグレシアス、レイ・チャールズ、セリーヌ・ディオンらと共演。後進の育成にも情熱を注いでいる。

オフィシャルウェブサイト

Joey DeLeon/ジョーイ・デレオン(Per)

伝説のパーカッション奏者、サントス・ミランダを叔父に持つ。マンハッタン音楽院でクラシックの打楽器奏法を習得。'70年代からニューヨークのラテン・シーンで活動を始め、ボビー・ロドリゲスのバンドで脚光を浴びた。ロサンゼルスに移住してからはアルトゥーロ・サンドヴァル、ポンチョ・サンチェスらとも共演。最高のテクニックとエンターテインメント性を兼ね備える。

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